La 1200km

  • 名 称:La 1200
  • 開催日:2022年10月31日〜11月19日
  • 場 所:モーリタニア サハラ砂漠
  • 距 離:1,200km
  • 制 限:468時間(19.5日のノンストップレース)
  • 気 温:10〜45℃
  • 開 催:世界初開催
  • 参加者:10名(日本人1名、初参加)
  • 完走者:8名(80%)
  • ルール:
    ①セルフサポート(サポートスタッフの帯同不可)
    ②提供される GPS データを基に GPS 時計で確認しながら進む
  • チェックポイント:約20km毎(軽食、ドリンク、寝床の提供)
  • ドロップバック:20〜40km毎に自分の荷物(食料や衣類)を置くことができる
  • 参加費:6,800€(約100万円)
  • 提出書類:医師の診断書、心電図
  • 他:コース上にマーキングやスタッフなし。携帯電話もつながらない中、遭難、熱中症、睡魔、 ケガ、体調異変などのリスクを抱えながら進む。
  • URL:https://extreme-runner.fr/la-1200

<レース結果>

  • 順 位:4位
  • 記 録:397時間30分(16日13時間30分)

<冒険の舞台>


アフリカ北西の国、モーリタニアが舞台となる。サハラ砂漠が国土の90%を占める「砂漠の国」であるが、西側は大西洋に面していることもあり、多様な景色を持つ国である。(上写真にある黒線がレースのコース)

日本が輸入するタコの1/3はモーリタニア産であり、実は深い繋がりがある。1960年、フランスから独立したモーリタニアは主な産業がなく貧困に苦しんでいた。そこで日本政府が一から協力をして漁業を立ち上げる。モーリタニアではタコは「悪魔の使い」として食べることも触れることも嫌がっていたところ、漁獲方法の確立と日本への輸出を成功させ、モーリタニアの主要産業へと成長した。


黄色はサハラ砂漠、赤は独立のために流された国民の血を表し、緑は未来への明るい望みと砂漠地帯の緑化の願いを込めている。中央にはイスラム教のシンボルである三日月と星。人口は約500万人で、アラビア語とフランス語を話す。

<装備・アイテム>


装備一式。
シューズ3足(腫れを想定して通常より1cmUP+インソール追加)、ゲイター(砂入り防止)、サングラス(紫外線・砂嵐対策)、虫除けスプレー&除菌スプレー(感染病予防)、皮膚保護クリーム(マメ・股ずれ予防)、医薬品(病気対策)、日焼け止め(火傷予防)、バッテリー、リフレッシュシートなど準備。



食料一式。
計8万kcalを持参。①チェックポイントで食べる食事(保存食やフルーツ)、②走りながらとる行動食(飽きずに食べられる菓子など)、③ドリンクとして飲める完全食、④サプリ(アミノ酸など)の4種類に分けて揃えた。


<レース日記>

“世界最大の砂漠を走った先に、青く美しい海が待っている“。そんな魅力溢れる言葉と共に、世界初開催となるレースが行われた。

『La 1200』。舞台はモーリタニアのサハラ砂漠。距離1200km、制限時間486時間(19.5日)のノンストップレース。気温45℃の中、食料や寝袋、サバイバル道具などを背負いながら進む。コース上にマーキングやスタッフはなく、GPSだけを頼りに進む。エントリーは全10人。日本人は僕ひとりだ。


僕は2019年に同主催者のサハラ砂漠1000kmに出場・完走したが、「3年経った自分自身に再び挑戦したい」と参加を決めた。

自宅のある大阪を出発してからドバイで飛行機を乗り継ぎ、25時間をかけて集合場所のパリへと到着。その後、スタッフと選手一同でモーリタニアへと移動した。



10月31日午前8時、雲ひとつない快晴のもとレースが始まった。参加選手たちは全員、サハラ砂漠1000kmや他レースで戦い抜いてきた百戦錬磨の人間ばかり。 20km毎にあるチェックポイント(軽食、ドリンク、寝床の提供あり)をオアシスのように繋ぎながらゴールを目指す。

スタートから地獄のような暑さと強い向かい風にあい、30kmを過ぎた頃には最後尾と僅差の8位となっていた。「レースは長い。無理しちゃだめだ」。と、焦りと不安を抱く自分を落ち着かせて進んだ。



夜通し進み続け110km(25時間経過)。砂が柔らかく、足がとられて走ることはおろか歩くことさえ疲れる。強い日差しで肌は焼け焦げ、風がストーブのように暑い。多量の汗をかいているはずなのに感覚がなく、体の水分もろとも飛ぶように蒸発していった。

気がつけば全身に力が入らず、意識が飛びそうになっていた。

「まずい、まずい、倒れてしまう」。

とにかく水を飲んで、頭を水で冷やせ。持てる気力を振り絞り、極度の脱水状態から命かながらでどうにか次のポイントまで辿り着いたのだった。



このレースでは20〜40km毎にドロップバッグを置ける。未知なるレースをどこまでリアルに想像して、準備できるかで勝敗が決まる。今回考えた作戦はこうだ。

食料は、主にドリンクとして摂れる完全食(粉末)。全ポイントに2袋1L分で、計4万6千キロカロリー。他にゼリー、アミノ酸、お菓子、フルーツなど。暑さや内臓疲労への対策を特に想定した。

致命傷にもなり得る足トラブルを回避するため、テーピングは全ての指と踵、前足部に巻く。肌かぶれや剥がれによる二次リスクを防ぐため交換は4〜5日毎。シューズはクッション性に優れたロード用を通常サイズより1cm大きくして、インソールは2枚に。足の腫れと横アーチが落ちて足裏に痛みがでる僕にはこれが最適と判断した。

遭難対策と、家族とのメッセージ交換による精神コントロールも兼ねて衛星通信機も持参した。加えて日本の応援者に向けて位置共有とTwitterの配信を試みる。

重さと効果を天秤にかけ選定したアイテムは100種類、ザック重量は水分を含むと計6kgを超えた。



作戦が功を奏して致命傷を負うことなくレースは進む。だが酷い脱水が続いて3日目以降はずっと喉が痛く、咳が止まらない。舌にカビが生えてしまい、食べ物を食べること飲み込むことがヒリヒリとして辛くなる。 毎日の数時間の睡眠も寝付けなくなった。

「どうにかしないと」。

そう思って、毎日10L以上の水分を摂っていくも、症状はむしろ悪化していく。さらに給水を増やすと、今度は酷い下痢になる。栄養分が消失して、足に力が入らない。水分を摂れば下痢、摂らねば脱水。どちらを選んでも地獄となった。

困難は続く。あまりの暑さに頭から水をかぶると、ドロドロの完全食ドリンク。洗い流す余分な水も、拭き取るタオルもない。こんな失敗をする自分が嫌でたまらない。落ち込んだ心を戻そうと、散々独り言を言ってわめいた。

「しんどいし、痛いし、眠い。でもここぞという時に頑張らなかった人生なんて嫌だ!」。



そんなどん底に落ちてしまったが、ぼくは心を立て直すことができた。そのきっかけは家族と仲間だった。

ひとりじゃない、みんながいる。

初めて試みた衛星通信の活用により、これまでよりも強く思うことができた。どんなことよりも何よりも人の想いが力になる。



スタートから384時間、1120kmを超えた。今はちょうど3年前の1000kmゴール時間。それに比べて120kmも先に進めている。成長できていることが素直に嬉しい。

そしてついにゴールを迎える。

夜になって海は見えないが、波の音が聞こえ潮風を感じる。満面の笑顔と拍手で迎えてくれるスタッフたち。感動して涙するようなことはない。でも心の中は、無事に辿り着けた安堵と確かな成長の喜びで溢れていた。397時間30分。第4位。



アドベンチャーを始めて9年。

散々壁にぶつかった。生活は苦しかった。それでも地道に挑み続けると、初マラソン4時間43分だった普通の人間でも砂漠1200kmという想像すらできなかったことを達成できた。それが嬉しいし、面白い。

来年は極寒アラスカ1600km。2024年はヒマラヤ山脈1600kmへの挑戦となる。どうなるかなんて分からない。

でもこの先さらに進めばどこまでいけるんだろう。どんな驚きや楽しみが待っているんだろう。そんなワクワクする未来へと走り続けたい。