装備一式。
シューズ3足(腫れに応じてサイズup)、ソックス24足(マメ予防)、ゲイター(砂入り防止)、サングラス(紫外線・砂嵐対策)、虫除けスプレー(感染病予防)、皮膚保護クリーム(マメ・股ずれ予防)、医薬品(病気対策)、日焼け止め(火傷予防)、バッテリー、リフレッシュシートなど準備。
食料一式。
計11万kcal、14万円、成人男性44日分相当となった。①チェックポイントで食べる食事(保存食やフルーツ)、②走りながらとる行動食(飽きずに食べられる菓子など)、③ドリンクとして飲める完全食、④サプリ(アミノ酸など)の4種類に分けて揃えた。
世界最大の大きさを誇るサハラ砂漠。ここで第一回となる1000kmレースが行われた。
通称サハラマラソン(Marathon Des Sables 250km)は以前より世界で最も過酷なマラソンとして知られてきたが、今回はその4倍も距離があり圧倒的に難易度が高い。
さらに参加者は15人となり、2週間以上のほとんどの時間をひとりで進み続けるために、精神は厳しく追い込まれる。怪我や体調不良や遭難などの恐れもあるだろう。
背負う荷物重量はレースに直結する。そこで寝袋、ライト、GPS、薬、食料、水分、バッテリー、防寒具などをg単位の軽量化を行うも、5kgほどのリュックを背負い続けることとなった。
そんな厳しい、途方も無い1000km(大阪から青森ほどの距離)をクリアするために、毎日60km(チェックポイント3個分)を進み、計17日で走破する計画を立てて臨んだ。
レース初日から気温40℃を超え、肌が焦げるほどの日差しが降り注ぎ、地平線まで続く砂丘地帯。走ろうにもまったく地面を捉えることができず、一歩一歩と足が埋もれる。だがレースのために必死に足を出し続ける。そうして日陰のない炎天下を11時間。40km地点(チェックポイント)へと辿り着くと熱中症になっていた。
体中が暑く、だるく、思考が止まり、吐き気をもよおすという危ない状況の中、全身に水をかけながら日陰で4時間倒れる。
「この暑さじゃ、とても体がもたない」
「ゴールは難しいかもしれない」
体の機能が停止してまったく動けず、ドクターストップもかかった。気がつけば順位は最下位となっていた。
その後なんとか状態は回復してレースを再開し、予定の60km地点へと着いたのは夜中1時半。全身が疲労いっぱいだったが、少しでも挽回するために1時間半だけ仮眠して再出発。何も見えない砂漠を、20km先のポイントを目指してGPSを頼りに進んだ。
だが進んでも進んでも真っ暗闇の景色は変わらない。GPSが示す通りに進めば、砂丘にぶつかる。得体の知れない骨に遭遇する。とても走る道ではない場所が現れる。
周りを見渡しても〝道〟というものは無いため、GPSと自分の勘で道無き道を突き進む。
そうして夜明けまでひとり、12時間の暗闇の中を孤独に戦い続けた。
翌朝を迎えると、再び暑さのせいで食欲が落ち、気持ち悪さが酷くなった。
「何も食べる気がしない」
無理に食べると吐き気をもよおす。水を飲むだけで気分が悪くなる。そのため食べ物はほとんどとれず、脱水症状にもなった。
それでもなんとかチェックポイント毎に休息をはさみ、エネルギーになるものを必死に詰め込みながら3日間で200km地点に到着した。
翌日に備えて眠る前にエネルギーをとらねばと思い、ポイントで差し出されたスープを飲んで横になる。すると千切れそうなほどの腹痛となった。夜中に何度も起きてはお腹をくだす。
朝を迎えると体調は更に悪化し、頭痛もやってきた。少しでも緩和することを願って鎮痛剤、下痢止め、胃薬などを投与した。
だが相変わらず下痢は続き、1日に5回も6回もお腹をくだす。ただでさえエネルギーが足らないため、見る見るうちに栄養失調となっていった。
「力がでない、つらい」
体に力は入らず、太ももが麻痺してくる。明らかに筋肉は壊れていった。もう歩くことですら辛い。
「なんとかしないと…」
まずは食欲を戻さないといけないと思い、あらゆることを試みた。
暑くて倒れそうな中でも温かい飲み物しか飲まない。チェックポイントの2km前から走るのを辞めて内臓振動を抑え、お腹(リュック)のベルトを緩めて圧迫負担を減らし、休憩時に一気に水分を摂らないよう予め水分を多く摂っておく。
また食事前に歯磨きをして味覚をリフレッシュする。そんな些細なことを積み重ね続けていくと、徐々に食欲は回復していき、体調も回復していった。
そうして500kmが過ぎた。
どこまでいっても終わることのない地平線、砂、岩石、土など様々な表情を変える大地、眩しいほどの朝日やオレンジ色に輝く月など、今まで見たことがないような幻想的な世界が広がっていた。
その反面、暑さや寒さ、砂や岩など自然の猛威によって、他選手たちのリタイアが出てきた。熱中症、下痢、頭痛、足裏のトラブル、筋肉痛、擦れ傷、幻覚、空腹、体力疲弊、精神異常。
そんなリスクを常に考え判断し続けなければならない。
水はいつとる?どのくらいとる? 足裏に違和感があるが今ケアするのか? どんなケアをするのか? 何時間休む?休んでどのくらい回復するのか? 追い込んでトラブルが起きないか? 追わないことでのリスクはないか?
あらゆる要素を考慮しながら致命傷は避けつつ、限られた時間と資源で、少しでも早く前へと向かっていった。
そうして着実に前に進み続け、もうすぐゴールとなった。走っている時は1000km先のことは考えていなかった。
いや、考える余裕なんてなかった。ただ今を必死に生きていたら1000kmへと辿り着いた。そんな感じだった。
そしてついに1000kmのゴールを迎えると、
「行けた、ほんとうに自分の足で1000km行けたんだ」
そんな思いとともに、大きな喜びが込み上げてくる。
地平線をいくつ越えたか分からない。もう何日経ったかも分からない。昼も夜もずーっと、ただただ永遠と続く砂漠を進み続けた。
終わりがないんじゃないかと思うほど長かった道。何度も心折れそうになった道。これまで6年間必死に生きてきたアドベンチャーランナーとしての道。そのすべてが少し報われたような気がした。
そして辛いとき、いつも応援してくださるみなさんの顔が思い浮かんだ。思い出に浸っては元気をもらった。
自分ひとりではなく、みなさんと一緒にチャレンジすることができたからこそ、ここまでくることができた。こうして人生を賭けたチャレンジができ、ほんとうに幸せだ。
想像すらできなかったサハラ砂漠1000km。だがやるだけやれば、想像を超えたところに自分がいた。そして、まだできると思える自分もいた。
この先も上手くいくかは分からないが、これからもさらに高みを目指して挑んでいきたい。