標高1,500m超える中にそびえる大地、グランドキャニオンにて、7日間273kmのレースが行われた。 レース途中に起こるアクシデント。足の痛み、体力衰退、自分自身と闘い続けた先に待っていたものとは。 総合8位、年代別1位獲得への軌跡。
朝6時、主催者が流す音楽とともに目がさめる。
昨日からキャンプをしているのは、標高1,500mを越えるグランドキャニオン。
寝袋から出たくないほどの寒さだが、レースに向けて簡素な食事を済ませ、ウォーミングアップを始めていく。
調子はまずまず良さそうだ。
7日後のゴールでは力を出し切って、今まで積んできた練習の成果を残したい。
だが競争する選手は初対面ばかりで、走ってみないとお互いの強さが分からない。
だから順位はあくまでも目安であり、とにかく目標は自分の力を出し切ること。
朝8時、世界中から集まった140名の選手が一斉にスタートした。
まだ少し肌寒い中、49.6kmの1ステージだ。
7日間を最適に過ごすためにそれぞれが工夫を凝らした荷物は6〜15kgになり、僕は6.1kg+水1Lの約7kgとなった。
初日は上位集団に入っておきたい。
スタート直後から息は上がるがペースを上げて走る。
初日はできれば上位集団に入っておきたい。
スタート直後から息は上がるが少し頑張って走る。
10キロが過ぎ、20キロが過ぎたころにはペースも落ち着き、僕は6位にいた。
計画したレース食料は上手く摂れている。
このまま残り30キロも順調に進み、初日を5位で終えることができた。
このまま勢いに乗って行きたい。
2日目は天気が一転、うだるような暑さとなった。
2ステージ43.3kmも勢い良くゴールをすべく、山も森も懸命に走り、同じく5位でフィニッシュ。
だが両足にマメができてしまっていた。
対策をしていたができたものは仕方がない。
明日以降のために、患部をナイフで切って水を抜き、テーピングで処置をした。
翌日の3ステージは84.7km。
レース一番の山場だから、何とか持ち堪えよう。
いつも通りいつも通り。その思いで長い1日のスタートを切った。
想定ではゴールまで13〜14時間。40キロまで順当に進んだ。
だが暑さでバテたのか、内臓の調子がどうもおかしい。
食べることができない。だがいつかは治るだろうと思って、そのままのペースで走る。
すると不意に違和感がやってきた。
左膝に痛みがはしり、足が上がらない。
これはヤバイと思い、50キロのチェックポイントで少し横になる。
内臓は回復していないがとにかく食料を無理やりに流し込む。
走ることはもちろん、まともに歩くことが出来なくなってしまった。
さすがにまずい状況になり、痛み止めのロキソニンを飲む。
すると時間とともに少しずつ効果が現れ始め、走ることを再開することができた。
良かった。これでレースに復帰できる。
だが薬の副作用で胃が荒れて、ますます食欲は落ちた。
辛いが仕方ない。
とにかく今日あと残り30キロだ。
ペースを上げ、遅れを取り戻していった。
だが容赦ないアップダウンと岩や石。
身体へのダメージが大きく、さっきの痛み止めでは抑えきれない。
仕方なくもう1度ロキソニンを投与。
もう食べることも、水分さえも身体が受けつけなくなった。
その後も足は止めずに走り続け、スタートから15時間でゴールをした。
良かった。無事に走り終えた安心感でいっぱいだった。
だが問題はその後だった。
テントに着くや否や、寒気がして震えが止まらない。
耐え難い空腹と吐き気がする。
とにかく寝袋にくるまる。
もうテントに倒れこみたいが、吐き気が強くて横になれない。
そして足裏の動悸と痛みが強くなる。
足裏が酷い状態になっていると感じ、シューズと靴下を脱ぐ。
できれば傷口の消毒をして、明日以降に備えたい。
だが靴下を脱ぐのが精一杯で、処置する力は無い。
そのまま数時間、寒さと吐き気と痛みに悶えた。
翌朝起きると傷口が膿んでいた。
水膨れは足裏に大きく広がり、黄色い液体が溢れ出ている。
だめだ、もうレース中に回復することはないだろう。
その日はキャンプで休息日だったが、歩くことが辛く、トイレに行くのも辛く、寝たきりになった。
食欲はますます落ち、朝晩の主食は捨てるようになった。
あと3日。3ステージで96km。
微かな望みを期待して、4ステージの41.9kmを迎える。
相変わらず足裏はジュクジュクだが、何重もテーピングをして、シューズを履く。
痛み止めを飲んでスタート。
だが薬の効果も分からないくらいに激痛がはしる。
小石を踏むだけで足が裂けるように感じる。
気のせい気のせい。そのうちに痛みに慣れる。
そう自分を言い聞かせて走り続ける。
30分経つと次第に感覚が麻痺してくる。
そしたら、あとは止まらずに走り続けるのみ。
そして5時間をもがき続けゴール。
だがキャンプではまともに休息ができない。
食べれない。飲めない。歩けない。
心身が疲弊して夜が更けて、また翌日を迎える。
5ステージ41.9km。いつも通り主食を捨て、機械的にスタートへ向かう。
気がつけばスタートラインに立つのを拒み、最後尾に並んでいた。
だがキャンプメイトに励まされて、最前列に並ぶ。
たがスタートすると激痛のため、すぐに遅れる。
そしてまた痛みが麻痺するまで走りながら耐える。
30キロまではどうにか進み続けたが、とうとう限界がきた。
エネルギーは枯渇し、筋肉は壊れ、膝は悲鳴をあげた。
痛みで走れないのでなく、支えてきた身体が限界にきてしまった。
とにかく脱水で倒れるのだけは避けようと水を頭からかぶり、いけるところまで走り、歩く。
もう止まりたい。
でも進まないと終わらない。
果てしなく長く感じた10キロを進み続け、ゴール直後には抱えられてテントに運ばれた。
あと1日。あと12.3km。
最終ステージは今までのタイム別に組を分けて、時間差のスタートだった。
序盤のタイムが良かった僕は最終組だった。
最終組を11人でスタートするが、他の選手に全く着いていけない。
みるみるうちに距離が離れて、最後尾をひとり走る。
ジョギング程度のスピードのはずなのに、身体が鉛のように重く息が上がる。
だがもう少し。もう少しで終わる。
もう前の選手は見えないが、とにかくゴールだけを目指す。
自分の足で。一歩一歩。
そしていよいよゴールが近くなり、歓声が聞こえてきた。
最後は日本国旗を掲げ、持てる力を振り絞って走る。
ゴールが見えた、みんなが見えた。
やっと終わった。
フィニッシュとともに歓喜に包まれて、抱き抱えられて、涙が溢れてきた。
やっとやっと終わった。
すぐに心が折れてしまい、走るのを止めてしまう。
だけど、多くの人の支えがあるから、立ち止まってもまた進み続けることができている。
そう心から感じます。
レースを共にした橋本さん、三浦さん。キャンプメイト。そして、応援してくださったみなさん。
本当にありがとうございます!!