Grand to Grand Ultra 273km

  • 名 称:Grand to Grand Ultra
  • 開催日:2016年9月25日~10月1日(7日間)
  • 場 所:アメリカ ユタ州
  • 距 離:273km(6ステージ計)
  • 高低差:±9,976m
  • 気 温:0~30℃
  • 参加者:140名(内日本人3名)
  • ルール:セルフサポート(レース期間中の食料、衣料、寝袋、サバイバル道具のすべて背負いながら、自らの力だけでレースを行う)。ステージ毎のタイムを計測し、全ステージの合計タイムで順位を決める
  • URL:http://g2gultra.com/home

<レース結果>

  • 順 位:8位/男子30代年代別1位
  • 記 録:38時間05分42秒

<レース映像>

標高1,500m超える中にそびえる大地、グランドキャニオンにて、7日間273kmのレースが行われた。 レース途中に起こるアクシデント。足の痛み、体力衰退、自分自身と闘い続けた先に待っていたものとは。 総合8位、年代別1位獲得への軌跡。

<レース日記>

朝6時、主催者が流す音楽とともに目がさめる。

昨日からキャンプをしているのは、標高1,500mを越えるグランドキャニオン。







寝袋から出たくないほどの寒さだが、レースに向けて簡素な食事を済ませ、ウォーミングアップを始めていく。 調子はまずまず良さそうだ。

7日後のゴールでは力を出し切って、今まで積んできた練習の成果を残したい。



だが競争する選手は初対面ばかりで、走ってみないとお互いの強さが分からない。

だから順位はあくまでも目安であり、とにかく目標は自分の力を出し切ること。







朝8時、世界中から集まった140名の選手が一斉にスタートした。

まだ少し肌寒い中、49.6kmの1ステージだ。

7日間を最適に過ごすためにそれぞれが工夫を凝らした荷物は6〜15kgになり、僕は6.1kg+水1Lの約7kgとなった。

初日は上位集団に入っておきたい。

スタート直後から息は上がるがペースを上げて走る。

初日はできれば上位集団に入っておきたい。

スタート直後から息は上がるが少し頑張って走る。



10キロが過ぎ、20キロが過ぎたころにはペースも落ち着き、僕は6位にいた。



計画したレース食料は上手く摂れている。

このまま残り30キロも順調に進み、初日を5位で終えることができた。

このまま勢いに乗って行きたい。







2日目は天気が一転、うだるような暑さとなった。

2ステージ43.3kmも勢い良くゴールをすべく、山も森も懸命に走り、同じく5位でフィニッシュ。



だが両足にマメができてしまっていた。

対策をしていたができたものは仕方がない。

明日以降のために、患部をナイフで切って水を抜き、テーピングで処置をした。







翌日の3ステージは84.7km。

レース一番の山場だから、何とか持ち堪えよう。

いつも通りいつも通り。その思いで長い1日のスタートを切った。





想定ではゴールまで13〜14時間。40キロまで順当に進んだ。

だが暑さでバテたのか、内臓の調子がどうもおかしい。

食べることができない。だがいつかは治るだろうと思って、そのままのペースで走る。







すると不意に違和感がやってきた。

左膝に痛みがはしり、足が上がらない。

これはヤバイと思い、50キロのチェックポイントで少し横になる。

内臓は回復していないがとにかく食料を無理やりに流し込む。

そして再スタート。







すると回復どころか状態が悪化している。

走ることはもちろん、まともに歩くことが出来なくなってしまった。



さすがにまずい状況になり、痛み止めのロキソニンを飲む。

すると時間とともに少しずつ効果が現れ始め、走ることを再開することができた。

良かった。これでレースに復帰できる。



だが薬の副作用で胃が荒れて、ますます食欲は落ちた。

辛いが仕方ない。

とにかく今日あと残り30キロだ。

ペースを上げ、遅れを取り戻していった。







だが容赦ないアップダウンと岩や石。

身体へのダメージが大きく、さっきの痛み止めでは抑えきれない。

仕方なくもう1度ロキソニンを投与。



もう食べることも、水分さえも身体が受けつけなくなった。

その後も足は止めずに走り続け、スタートから15時間でゴールをした。

良かった。無事に走り終えた安心感でいっぱいだった。



だが問題はその後だった。



テントに着くや否や、寒気がして震えが止まらない。

耐え難い空腹と吐き気がする。



とにかく寝袋にくるまる。

もうテントに倒れこみたいが、吐き気が強くて横になれない。

そして足裏の動悸と痛みが強くなる。



足裏が酷い状態になっていると感じ、シューズと靴下を脱ぐ。

できれば傷口の消毒をして、明日以降に備えたい。



だが靴下を脱ぐのが精一杯で、処置する力は無い。

そのまま数時間、寒さと吐き気と痛みに悶えた。







翌朝起きると傷口が膿んでいた。

水膨れは足裏に大きく広がり、黄色い液体が溢れ出ている。



だめだ、もうレース中に回復することはないだろう。



その日はキャンプで休息日だったが、歩くことが辛く、トイレに行くのも辛く、寝たきりになった。

食欲はますます落ち、朝晩の主食は捨てるようになった。



あと3日。3ステージで96km。



微かな望みを期待して、4ステージの41.9kmを迎える。

相変わらず足裏はジュクジュクだが、何重もテーピングをして、シューズを履く。



痛み止めを飲んでスタート。



だが薬の効果も分からないくらいに激痛がはしる。

小石を踏むだけで足が裂けるように感じる。



気のせい気のせい。そのうちに痛みに慣れる。

そう自分を言い聞かせて走り続ける。







30分経つと次第に感覚が麻痺してくる。



そしたら、あとは止まらずに走り続けるのみ。

そして5時間をもがき続けゴール。



だがキャンプではまともに休息ができない。

食べれない。飲めない。歩けない。



心身が疲弊して夜が更けて、また翌日を迎える。









5ステージ41.9km。いつも通り主食を捨て、機械的にスタートへ向かう。

気がつけばスタートラインに立つのを拒み、最後尾に並んでいた。



だがキャンプメイトに励まされて、最前列に並ぶ。

たがスタートすると激痛のため、すぐに遅れる。

そしてまた痛みが麻痺するまで走りながら耐える。



30キロまではどうにか進み続けたが、とうとう限界がきた。

エネルギーは枯渇し、筋肉は壊れ、膝は悲鳴をあげた。

痛みで走れないのでなく、支えてきた身体が限界にきてしまった。



とにかく脱水で倒れるのだけは避けようと水を頭からかぶり、いけるところまで走り、歩く。



もう止まりたい。



でも進まないと終わらない。



果てしなく長く感じた10キロを進み続け、ゴール直後には抱えられてテントに運ばれた。



あと1日。あと12.3km。



最終ステージは今までのタイム別に組を分けて、時間差のスタートだった。

序盤のタイムが良かった僕は最終組だった。



最終組を11人でスタートするが、他の選手に全く着いていけない。

みるみるうちに距離が離れて、最後尾をひとり走る。



ジョギング程度のスピードのはずなのに、身体が鉛のように重く息が上がる。



だがもう少し。もう少しで終わる。



もう前の選手は見えないが、とにかくゴールだけを目指す。



自分の足で。一歩一歩。







そしていよいよゴールが近くなり、歓声が聞こえてきた。

最後は日本国旗を掲げ、持てる力を振り絞って走る。



ゴールが見えた、みんなが見えた。

やっと終わった。



フィニッシュとともに歓喜に包まれて、抱き抱えられて、涙が溢れてきた。



やっとやっと終わった。







<結果>

  • 273km
  • 38時間05分42秒
  • 総合8位
  • 男子30〜39 age 1位









自分はまだまだ弱い。

すぐに心が折れてしまい、走るのを止めてしまう。

だけど、多くの人の支えがあるから、立ち止まってもまた進み続けることができている。



そう心から感じます。



レースを共にした橋本さん、三浦さん。キャンプメイト。そして、応援してくださったみなさん。

本当にありがとうございます!!